++一枚の写真++


02/09/18

 昭和63年(1988)、青函トンネルの開業を祝う青函博が開かれた。
そして、それまで本州と北海道をつないでいた青函連絡船が廃止となった。
思えば(貨物船を含め)大量輸送から高速輸送への転換期であったのかもしれない。
しかし、昔からの函館っ子にしてみると「ボォ〜〜」と港から聞こえる霧笛の音は記憶の奥底にまだ響いている。

その霧笛の音が今年「語りつぐ青函連絡船の会」の手で復活した。
8月1日から17日までの短い期間ではあったが聞き慣れたあの音が帰ってきたのだ。
10数年の間使われなかった機械や笛の部分の修理など、関係者の尽力はただものではなかったようだ。(実は摩周丸の笛は特殊なもので、実際に作られた方を招いて修理したそうだ)

第3セクターで営業していた「シーポートプラザ」が経営危機で、一番大きなテナントだった地ビールレストランも撤退することになった。
「摩周丸」も市が買い取って再生させるとか......ただこれには、どう残すかの論議がまだ固まっていない。
個人的には残して欲しいのだが、官の経営で上手くいった事例の少ない昨今、どうなるものか。
でも、長きに渡って本州との大動脈となって活躍した証は残って欲しい。
また霧笛が聞きたい.....

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